哲学者の考えにふれて1
最近哲学を勉強しようと思い、哲学者を紹介してくれている動画を見たので貼り付けておく。
この動画をみて最初の2名の考えに触れ、自分自身の考えをアウトプットしようと思う。
1、ソクラテス
プロタゴラスの「人間は万物の尺度である」で有名な考え方である相対主義を批判した人。
相対主義に関しては、重要な考え方であると思うが、使い方によっては危険であると思った。
この世界で誰もが物事を同じ尺度で感知する訳ではない。
しかし、この考え方を自己中心的に利用することがないようにしないといけないと思う。
「無知の知」はあまりにも有名な言葉であり、この考え方が学びの出発点である。
大学院生という対場であるため、この無知の知はあまりにも実感しすぎている。
最近の私は、というかずっとかもしれないが、知識の習得に気力が湧かないことがある
。
これは、無知を知りすぎたが故の無気力感かもしれない。
敵わない強敵を前にして諦める的な。
「善く生きる」はソクラテスの生き方の根本にある考え方になっている。
投獄された際に、弟子に脱獄を提案されるも受け入れたのはこの考え方が根本にある。
脱獄は不正であり、法律?という絶対的な基準を犯すことになるからであろう。
ソクラテスが生きていたら今後、もっと哲学が発展して・・・とか思ったが、それは相対主義的な考え方になってしまうような気がしている。
死生観に関しては、最近吉田松陰の言葉を信じているので、これには反対です。
「死して不朽の見込あればいつでも死ぬべし。生きて大業の見込あらばいつもでも生くべし。」
人はが死ぬとき残るものは自分が得たものではなく、人に与えたものであるって誰かが言ってた。
だから、大業の見込みあらば、人に影響を与え後世に何かを残すならば、それを信じて生き続けるのが良いんじゃないかって思う。
自分の思考を言語化する
就活を始めた2022年頃から人生について考えるようになった。
自己分析を介して、自分の価値観をしっかり認識すると共に、本当にやりたいことは何かを探していく時間が、私に人生とは何かを考えさせた。
これまでの人生は、決められたレールに乗って決められた作業をこなし、与えられた職務を全うするだけだったと感じている。
私が通っていた学部は6年間通う必要があった。つまり、医歯薬獣のいずれかの国家資格を取得する教育課程である。
6年間大学に通い、国家資格を取得し資格を活かして修業する。または、大学院に進んでアカデミアや大手企業に就職する。それが私たち(国家資格取得を目指す教育課程の学生を含む)に決められた一般的なレールである。
このレールはいつ決められるのか?
それは、大学進学時の18歳の時である。
しかし、一般的な大学生が就活を通して自己分析を行い実際の自分を見つけていくのは22歳(就活を始めるの自体は20歳頃から?)である。
4年も早い時期にレールが準備され、24歳で卒業する際にはろくに自己分析もせずに国家資格を使って就職するのが私たちの現状である。
私は、本当にそれで良いのかと思う。
もっと自分を見つめる機会があっても良いんじゃないかと思う。
実際にそうして僕は、曲がりなりにも人生について考えて、レールを大きく外れる選択をした。
今まで何も考えてこなかった自分の人生についてある程度は考えるようになった。
そこで問題なのが、その思考をアウトプットするべきかどうかという話だ。
確かに時間はかかるし、面倒だし、相手に伝わる文章に改変する手間もある。
しかし、頭の中でウズウズ考えている思考を整理する、
一度考えたことを記述することで見返せるようする
といったメリットがある。
とりわけ、文章を書くのが苦手な僕だ。
文章を書く練習のためにも。ブログをしてみようと思い至った。
しかし、真の目的としては頭の中でウズウズ考えたことを忘れないように吐き出す事としたいと思う。
人生について考え始めてから、あらゆることに頭を巡らせるようになった。
それだから、その思考をアウトプットしておきたいのだ。